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2011.10.17 (Mon)

日本人は信用すべしと認められる。

日本人は信用すべしと認められる。
彼らは第一の目的である名誉に邁進する。
また恥を知るを以て漫に他を害うことは無い。
彼らは名誉を維持するためには喜んで生命を捨てる。



フランソア・カロン(オランダ人)
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2010.09.05 (Sun)

ヘーシンク氏死去:柔道国際化の先駆け 76歳で死去

 2010年8月27日に76歳で亡くなった柔道家のアントン・ヘーシンク氏(オランダ)は、柔道が五輪の正式競技になった1964年東京五輪の無差別級金メダリスト。

日本は軽量、中量、重量の3階級を制したが、無差別級を落とし完全制覇を逃した。
だが、外国人選手が頂点を極めたことは、柔道が国際化するきっかけにもなった。

 ヘーシンク氏が初めて世界王者になったのは、無差別級のみで行われた61年の第3回世界選手権(パリ)だ。精鋭3人で臨んだ日本勢を連破して優勝。
準決勝で対戦した古賀武さん(71)=北九州市=は「外国人選手では力がずば抜けていた。長い手足を生かした寝技や足技が得意で、何度かわしても襲ってきた」と振り返る。古賀さんもこの時、内またで敗れた。

 引退後はプロレスラーに転身したが、人気が出ずに5年で引退。
古賀さんには「ショーになじめない。柔道の真剣勝負がいい」と漏らしたという。
その後は国際柔道連盟(IJF)理事や国際オリンピック委員会(IOC)委員などを歴任。
86年のIJF理事会ではカラー柔道着の導入を提案し、実現にこぎ着けた。

 東京五輪決勝で敗れた神永昭夫氏(故人)の弟子でもある全日本柔道連盟の上村春樹会長は「カラー柔道着を巡っては(日本と)意見が違ったが、柔道を世界に普及させようと一生懸命だった。すしと酒、演歌が好きな陽気な方でもあった」と、「日本の心」を知る師匠のライバルを悼む。

金メダルを獲得した際、歓喜のあまり土足で畳に上がろうとしたオランダのチーム関係者を制したのも、「礼儀」を重んじる講道館柔道の精神だった。

■毎日新聞 2010年8月28日



カラー柔道着は、変だけど、確かに分かりやすい。
今の柔道はレスリングと見分けがつかない試合があったりでガッカリですが、一本決まる瞬間は、爽快ですよね!


ヘーシンク氏のご冥福をお祈りします‥。
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